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市場の速度とカフェの時間

Posted: 2026.03.10 Category: ブログ

日常のめまぐるしさに衝突したせいか、まったくそういうわけではないからなのかはわからないのですが、ふと、エピクロスの書いたもの(とくに「原子の逸れ(クリナメン)」についてのところ)から、そういえば1867年の『資本論』の著者が、(私の記憶がただしければ)若いころに修士論文で論じた自然哲学の差異へと、ふらふらっと思考が「逸れ」ていく時間がありました。「資本主義社会」(マルクスがそんなことばを生涯において一度も使ったことがない点は、フェルナン・ブローデルが100年後に喝破している)において、資本は M →C →M' (貨幣→商品→増えた貨幣)という循環を繰り返しますが、この運動の本質は「速度」にあります。回転数が増えるほど利益は増幅されますが、加速は常にシステムの「余裕(遊び)」を削り取り、不安定な危機を内包させる自己矛盾を孕んでいます。

「速度」の呪縛を考えるうち、私は市場(マーケットプレイス)の起源へのほうへ、自分の考えが自然に移っていくのを感じたのものです。もともと市場とは、資本主義の装置ではなく、単なる交換の場所でした。中世ヨーロッパの広場で開かれた定期市のように、生産者と消費者が直接出会う、ある意味でじつに長閑な生活のための空間だったのです。この「場所」を「利益を生む装置」へと変容させたのは、商人(商人資本)の登場でした。商人が異なる市場間を繋ぎ、価格差から利益を得るようになると、市場は物理的な「広場」を超え、以下の三つのインフラに支えられた「都市間ネットワーク」へと変質しました。それは交通(街道・港・航路という物理的接続)、金融(信用・為替手形・銀行という決済システム)、そして制度(契約・商法・裁判という信頼の枠組み)です。ここにおいて、現代に続く経済構造が完成します。

資本がこのネットワークを通じて運動を始めると、たとえば現代のカフェにおける「座席回転数」という(とてもありふれた、あるいはとても素朴な)概念に象徴されるような、徹底した「速度」に裏打ちされた、「最適化」の追求が始まります。しかし、ここで見失われがちなのが、商人や市場が本来持っていた「媒介(メディエーション)」という根源的な価値です。かつてオランダが「仲介貿易」によって世界の「富」の概念を再定義したように、本来の経済の中心には、分断された領域を繋ぐ「あいだをとりもつ働き」がありました。生産者と消費者、都市と都市、あるいは現在と未来など、それらを結ぶ「仲介」とは、単なる移動や中抜きとはいえないなにかがありました。具体的にいえば、異なる文脈を読み解く「翻訳」、リスクを引き受ける「判断」、そして「関係の構築」という、極めて人間的な能力を抜きにして、「あいだをとりもつ働き」が機能することはなかったのです。

カフェという空間は、まさにこの「媒介」の現代的な継承のひとつです。人と人、仕事と休息、私的空間と公共空間、その「あいだ」に立ち、異なる世界を接続する装置として、カフェは機能します。それは単なる飲食業という枠を超え、人間社会を成立させる基礎的な機能――デリダが触れたような、他者を受け入れ、世界と接続するための「あいだ」の創出――に他なりません。「速度」という資本の論理に抗いながら、いかにして豊かな「媒介」であり続けるか。職業としての「カフェ」の正体とは、このめまぐるしい速度の時代において、人間が人間らしくあるための「接続点」を守ることにあるのではないか。。

ものすごい「速度」ですらすら書いてしまいましたが、最近私が考えているのは、なんとなくそんなことです。

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